大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 平成6年(ネ)5568号 判決

主文

原判決主文第一項中、五万円を超え二〇万円に至る金員及びこれに対する昭和六三年一〇月二一日から支払済みまで年五分の割合による金員の支払いを命じた部分を取り消し、右取消部分に係る被控訴人の請求を棄却する。

その余の控訴を棄却する。

訴訟費用は、第一、二審を通じ、一五分し、その一を控訴人の、その余を被控訴人の負担とする。

理由

【事実及び理由】

第一  当事者の求めた裁判

一  控訴人

原判決中控訴人敗訴部分を取り消す。

右部分に係る被控訴人の請求を棄却する。

訴訟費用は、第一、二審とも、被控訴人の負担とする。

二  被控訴人

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

第二  当事者双方の主張

当事者双方の主張は、以下に付加、敷衍するほか、原判決事実摘示中の「当事者の主張」に記載と同じであるから、これを引用する。

(控訴人)

1 本件記事は被控訴人の社会的評価を低下させるものではない。

(1) 一般に新聞記事が他人の名誉を毀損するものであるか否かは、「当該記事の内容のみでなく、見出しの文言及び大きさを含めた記事全体から通常受けるであろう印象を基準として判断すべきである」との立場をとるとしても、公共的事項に関する表現の自由の重要性を考えるならば、一般読者が当該記事から受ける「印象」というものを余り拡大して解釈すべきではない。印象というのは曖昧なものであり、「という印象を与える」ということで、直ちに個人の名誉を毀損するということになると、名誉毀損の責任を負わされることを恐れての言論の「自己検閲」あるいは「萎縮効果」を生じさせることになり妥当でない。したがって、直接具体的に表現されていない事項、すなわち、表現された事項から推測や憶測によって暗示的に受け取られる事項までも、「印象」という名のもとに真実証明を要する「事実」とすることがあってはならない。当該記事から受ける「印象」といっても、あくまで記事に表現されている内容のもとに厳格にとらえるべきである。そして、本件記事は、ロス疑惑発覚後の銃撃事件についての被控訴人逮捕に至る捜査の過程を取材に基づいて記載したものであるが、次に述べるとおり、本件記事は、被控訴人が殴打事件及び銃撃事件に関与しているとの強い「疑い」があることを記述したものということはできるが、銃撃事件への関与を断定しているものではなく、被控訴人の社会的評価を低下させるものではない。

(2) 被控訴人が指摘する『甲野は五十年か百年に一人の悪人。もう一度手錠を掛けて、撃ったやつも引っ張り出す。このままでは引き下がれない。』との捜査員の発言部分(以下、『本件発言部分』という。)及び『希代の悪人』との見出し(以下、「本件見出し」という。右発言部分中の「甲野は五十年か百年に一人の悪人」から引用し鍵括弧を付けその意味をさらに短縮要約して端的な言葉で表現したものである。)は、あくまでも警視庁捜査一課強行犯五係の捜査員が銃撃事件に対する捜査の取組上の決意、意気込みを表明したものであって、本件記事の他の部分と総合してみて、これが直ちに、警察が捜査の過程において被控訴人が銃撃事件に関与した殺人犯と断定したとの印象を与えるものとは言えない。

(3) 要するに、本件記事は、ロス疑惑発覚後の銃撃事件についての被控訴人逮捕に至る経過を記載し、その中で、捜査員の捜査の取組上の決意を紹介することによって、銃撃事件について警察が右のとおり判断するほどの強い「疑惑」があることを記述したものと言うことはできるとしても、それ以上に、右事実を伝える本件記事が記事として被控訴人の銃撃事件への関与を断定しているような文言の記載はない。しかも記事が公表された時期、経緯、当時の報道による読者の殴打、銃撃事件に関する既得の事実認識の状況程度等からしても、本件記事によっては、被控訴人の銃撃事件逮捕直後の被控訴人の社会的評価をさらにそれよりも低下させることはないはずである。

2(公正な論評の法理と真実性の証明による不法行為の違法性の欠如)

公共の利害に関する事項についての公正な論評の法理は、すでに判例上確立されている。「〈1〉論評の前提をなす事実がその主要な部分について、真実であるか、少なくとも、真実であると信ずるにつき相当の理由があること、〈2〉その目的が、公的活動とは無関係な単なる人身攻撃にあるのではなく、それが公益に関係づけられていること、〈3〉論評の対象が、公共の利益に関するか、または、一般公衆の関心事であること。これら三つの要件を具備する場合は、その論評によって当該対象者の社会的評価が低下することがあっても、論評者はその責任を問われない。」(役京地裁昭和四七年七月二日判決・判例時報六八八号七九頁)「公共の利害に関する事項について自由に批判、論評を行うことは、もとより表現の自由の行使として尊重されるべきものであり、その対象が公務員の地位における行動である場合には、右批判等により当該公務員の社会的評価が低下することがあっても、その目的が専ら公益を図るものであり、かつ、その前提としている事実が主要な点において真実であることの証明があったときは、人身攻撃に及ぶなど論評としての域を逸脱したものでない限り、名誉権侵害の不法行為の違法性を欠くものというべきである。このことは、当裁判所の判例(最高裁昭和三七年(オ)第八一五号同四一年六月二三日第一小法廷判決・民集二〇巻五号一一一八頁、昭和五六年(オ)第六〇九号同六一年六月一一日大法廷判決・民集四〇巻四号八七二頁、昭和五五年(オ)第一一八八号同六二年四月四日第二小法廷判決・民集四一巻三号四九〇頁)の趣旨に照らし明らかであり、ビラを配布することも、右のような表現行為として保護されるべきことに変わりはない。」(最高裁昭和六〇年(オ)第一二七四号同裁判所平成元年一二月二一日第一小法廷判決・民集四三巻一二号二二五二頁)とされている。また、東京高裁平成六年二月八日判決(判例時報一五〇二号一一四頁)は、「新聞又は週刊誌の記事により名誉を毀損されたとする者が、右記事中自己の名誉を毀損したと指摘する部分が、右の者について述べた言辞(以下「事実言明」という。)ではなく、意見を叙述した言辞(以下「意見言明」という。)である場合において、当該記事が公共の利害に関する事実についてのものであって、〈1〉右意見の形成の基礎をなす事実(以下「意見の基礎事実」という。)が当該記事において記載されており、かつ、その主要な部分につき、真実性の証明があるか若しくは記事の公表者において真実と信じるにつき相当な理由があるとき(以下、真実性の証明がある事実と記事の公表者において真実と信じるにつき相当な理由がある事実のいずれをも「免責事実」という。)、〈2〉または、当該記事が公表された時点において、意見の基礎事実が、既に新聞、週刊誌又はテレビ等により繰り返し報道されたため、社会的に広く知れ渡った事実若しくはこのような事実と当該記事に記載された免責事実からなるときであって、かつ、当該記事に記載された当該意見をその基礎事実から推論することが不当、不合理なものとはいえないときは、右のような意見言明の公表は、不法行為を構成するものではないと解するのが相当である。」と判示している。

(1) 本件記事は、犯罪報道に係わるものであり、公共の利益に関する事項について、専ら公益を図る目的に基づくものであることは明らかである。

(2) 本件記事の意見の前提をなす事実としての「疑惑」の存在についての真実性の証明

ロス疑惑事件は、日米捜査当局が初めて直面した本格的な国際犯罪であり、さらに「殴打事件」の逮捕・起訴から「銃撃事件」の再逮捕まで、異例の長期捜査となった事件であるが、本件記事は、ロス疑惑発覚後銃撃事件で被控訴人が再逮捕されるまでの捜査経緯を記載することにより、捜査に従事した捜査員の苦労、立件にかかる執念を描こうとしたものである。本件で問題となっている、本件記事中の〈1〉「甲野は五十年か百年に一人の悪人。もう一度手錠を掛けて、撃ったやつも引っ張り出す。このままでは引き下がれない。」との発言部分は、右捜査に従事した警視庁捜査一課強行犯五係の発言であり、〈2〉見出しの「甲野は希代の悪人」は「甲野は五十年か百年に一人の悪人」の発言を要約し、かつ、鍵括弧をつけて引用であることを明示したものである。このように、捜査員が右発言をしたことは、これを直接取材した山本記者の述べるところにより明らかであるが、右発言及びこれを要約した見出しの内容は、いずれも現実の事実または行為を叙述した表現ではなく、意見である。

(3) 本件記事の右意見の前提をなす事実とは、被控訴人が殴打事件及び銃撃事件に関与したとの強い「疑惑」であり、右「疑惑」は、捜査当局が、殴打事件の起訴後の捜査によって殴打事件と銃撃事件とを被控訴人による一連の殺人行為と当局が判断するほど強固なものであった。すなわち、殴打事件起訴後も、我が国及びアメリカ合衆国の捜査当局は、銃撃事件の捜査を続行しており、特に殴打事件一審有罪判決後(被控訴人の殺意が明確に認定されていることから)、銃撃事件について被控訴人の再逮捕がいつあるかが焦点となっており、このような状況の下で銃撃事件について、警察が被控訴人を敢えて再逮捕したという事実は、警察としては、種々の証拠から被控訴人が銃撃事件の犯人であると判断したことの表明ととることができる(被控訴人は、殴打事件で逮捕されて以来、一貫して無実を主張していることから、銃撃事件について犯行を自白することは考えられず、その点でも一般の刑事事件の逮捕とはその性質が異なるのである。)。

(4) 本件記事中の右意見は、以上の経過を踏まえ、捜査当局が右のように殴打事件と銃撃事件とを被控訴人による一連の殺人行為と判断するほどの強い「疑惑」を前提にしたものであり、しかも、右「疑惑」が本件記事掲載当時存在したことは、銃撃事件一審判決(平成六年六月二二日判決)により証明されていると言うべきである。

(5) 近時の裁判例は、〈1〉東京高裁平成六年(ネ)第五四七一号事件平成七年七月一〇日判決(判例タイムズ九〇三号一五九頁)は、控訴人の銃撃事件における逮捕の記事(毎日新聞昭和六三年一〇月二二日夕刊)について、「犯罪事実の存否については、国家の刑罰権の行使のため、慎重な手続により、いわゆる厳格な証明によってこれを確定する公的制度としての刑事裁判制度の性格に照らせば、報道された犯罪につき有罪の言い渡しがされた場合には、右判決の確定を待つことなく、報道機関においてその内容が真実であると信ずるにつき相当の理由があったことを推定させるものと解するのが相当である。」としたうえで、「本件記事の重要な部分は、……控訴人(本件被控訴人である甲野太郎を指す。)が訴外花子に掛けた生命保険金の取得を企てて、第三者に依頼し、殺害の目的を遂げたという点にあるから、右刑事判決があったことによって、被控訴人がその内容を真実と信ずるに相当な理由があったことが推定されるものというべきである。」と判示し、事後にせよ銃撃事件の一審有罪判決の認定事実をもって、記事公表当時新聞社が右記事に記載された事実を真実と信ずるにつき相当な理由があったものと推定している。右判示に従っても、本件記事の掲載当時、控訴人において前記銃撃事件に被控訴人が関与したという「疑惑」は真実であるか、少なくとも真実であると信じるにつき相当な理由があるというべきである。

(6) なお、銃撃事件による被控訴人逮捕より前に言い渡されていた殴打事件一審判決では、その理由中で、被控訴人が妻花子に対して保険金詐取の目的で殺意を有していたという事実のみならず、右殺人の計画段階で、乙山春子との間で「花子殺害の擬態的な方法について……私がピストルで花子の頭と被告人の足を撃ち、私がピストルをどこかに捨てるなど様々な方法が被告人から提案され検討した」と認定されている。右判示に従っても、前記「疑惑」は、真実か、少なくとも真実であると信ずるにつき相当な理由がある。本件記事の意見部分は、真実を前提としたものであり、不当不合理なものとはいえない。

(7) 前記のとおり、本件記事掲載当時被控訴人が殴打事件及び銃撃事件に関与したとの「疑惑」は、真実か少なくとも真実であると信ずるにつき相当な理由がある。そして、本件記事の意見部分は、右「疑惑」を前提事実とした意見であり、不当不合理なものとは言えず、公正な論評の法理により違法性を欠き、不法行為とはならない。

(8) 公正な論評の法理においては、意見が公的活動とは無関係な単なる人身攻撃ではなく、公益に関係づけられたものであれば、その用語や表現が激越、辛辣であっても、論評者はその責任を問われないものとされるものであり、本件記事は真実に基づいた意見として免責されるべきである。

(被控訴人)

前記控訴人の主張は失当なものであってすべて争う。本件記事の見出しや捜査員の発言部分というものが、被控訴人の名誉を毀損し、侮辱をし、被控訴人の社会的評価を低下させるものであることは、その表現自体からして明らかである。

1 本件記事中の捜査員の発言として記載された本件で問題となっている発言部分が真実捜査員が発言した事実であることについては何ら立証されていない。当審における山本記者(控訴人に記事を配信した時事通信社の従業員(本件記事原稿の執筆記者))が当該発言した捜査員の存在につき証言した程度では(役職、氏名を明らかにせず)真実性の証明の立証はでき得ていない。

また、銃撃事件の第一審判決で被控訴人が殺人罪として有罪判決を受けたからといって、当該刑事事件は係属中で右第一審有罪判決は未確定なものであるから、この判決によって真実性の証明がされ得るものではない。したがって、有罪判決が確定していない時期に、単に逮捕されただけといった時期に、被控訴人を「悪人」と断定することはできない。本件記事公刊の時点では、被控訴人は銃撃事件で逮捕され別の刑事事件(殴打事件)で一審の有罪判決を受けていたとしても、銃撃事件について何らの確定した有罪判決もない被控訴人について「希代の悪人」とか「甲野は五十年か百年に一人の悪人」と断定した表現の見出しをもって報道されることを甘受しなければならないいわれはない。

2 そして、前提事実について何ら立証されていないものが公正な論評の法理を適用され免責されるはずはなく、本件記事は、その表現からして被控訴人を侮辱する人身攻撃にも等しいことは歴然としている(前提事実が控訴人の言うような単なる「疑惑」ではなく、かかる「疑惑」の存在が真実性の証明と対象となる理由になるはずがない。)。

いずれにせよ、本件記事により被控訴人の名誉が毀損されこれを公刊した控訴人は被控訴人に対して不法行為に基づく損害賠償義務を負うべきである。

第三  《証拠関係略》

第四  当裁判所の判断

当裁判所も、本件記事の発表により被控訴人の社会的評価が低下されたものと認め、したがって、控訴人は被控訴人に対して名誉毀損による不法行為に基づく損害賠償義務があるが、その賠償額は五万円(及びこれに対する昭和六三年一〇月二一日から支払済みまで年五分の割合による遅延損害金)をもって足るものと判断するものであり、この金額を超えて二〇万円に至る金員(及びこれに対する昭和六三年一〇月二一日から支払済みまで年五分の割合による金員)の支払を認めた原判決は右の限度で変更を免れない。その理由は、以下に述べるほか、原判決の理由説示(ただし、原判決一四枚目表七行目末尾の「更に」から同一五枚目裏五行目末尾までの部分を除く。)と同じであるから、これを引用する。

1  ところで、控訴人が指摘するように、被控訴人が殴打事件で起訴され刑事裁判の審理が一審、二審に係属中にも、いわゆるロス疑惑の核心とされている銃撃事件の殺人が被控訴人の犯行であるとの嫌疑のもとに日米間で捜査が続けられ、右銃撃事件の立件(逮捕)に踏み切るための捜査の努力が続けられた経緯が窺われ、捜査機関が資料収集し把握している事実で公表された事実はかなり多く、新聞報道その他マスコミにより逐次発表され国内外ともに重大な社会的関心事とされていたことが認められ、銃撃事件で逮捕、起訴されていなかった段階においても、かなり広く日米両国の社会一般において知られ関心事となっていたことは、以下にみる新聞の報道記事からしても、容易に推察できる。このようにして、銃撃事件による殺人の犯罪行為につき被控訴人が起訴される以前でも、立件され逮捕に踏み切った段階では、通常の犯罪事件よりは、先行する殴打事件における情報、審理経過、状況により、さらには、同事件の一審判決により被控訴人の行状、人物評価等が明らかにされていたことは確かであり、ややもすると、世間一般の人々は、殴打事件と一体化して銃撃事件についても、その起訴、刑事裁判の審理もされず、第一審の判決すら出ていない段階であるにもかかわらず、殴打事件の起訴事実、判決の事実認定、これを前提にした被控訴人の人格批評が量刑の事情として判示され、それがマスコミを通じて発表、コメントされて周知されていき、殴打事件にいえることは、銃撃事件にも当然に当てはまると誤解し、えてして両事件を関連させてみて、銃撃事件で被控訴人が遂に逮捕されるに至ったということで右銃撃事件による殺人の犯行についていまだ起訴、審理もされていない時期から相当強い疑惑をもって社会の注目を集めてきたことは否めず、この傾向は、他の一般の単発的な刑事事件に比べてかなり特徴的であるとはいえる。

2  事実、この傾向は顕著であり、たとえば、新聞その他マスコミによる殴打事件起訴後の本件記事掲載に至るまでの捜査、裁判の経緯、状況は次のとおりであった。すなわち、昭和六〇年一〇月三日、被控訴人は殴打事件について殺人未遂罪で起訴されたが、右殴打事件起訴後も我が国及びアメリカ合衆国の捜査当局は銃撃事件について捜査を続行していたことは、次にみる新聞報道によっても明らかである。〈1〉昭和六一年七月、警察庁国際刑事課、警視庁捜査一課は、銃撃事件について米捜査当局と協議するため捜査員各一名をロスアンゼルスに再派遣(昭和六一年七月二六日読売新聞朝刊二三面)。〈2〉右協議において日本の捜査当局とロス市警、ロス郡検察局の三者合同で捜査を進めることを決める(昭和六一年八月二日読売新聞朝刊二二面、昭和六一年八月九日東京新聞朝刊九面)。〈3〉昭和六一年八月、銃撃事件について「本格捜査再開へ」と報道される(昭和六一年八月一五日読売新聞朝刊二三面)。〈4〉昭和六二年七月五日警察庁と警視庁捜査一課は、捜査幹部四人をロスアンゼルスに派遣、ロス郡検察局、ロス市警と協議(昭和六二年七月七日読売新聞朝刊二七面「ロス疑惑解明」)。〈5〉昭和六二年七月一七日、銃撃事件の現場を日米合同で検証(昭和六二年七月一九日毎日新聞朝刊二三面)。〈6〉昭和六二年七月二七日、警視庁捜査一課は、銃撃事件に使用された弾丸はライフル二二口径で、細工されたものであることを突き止めたと報道される(昭和六二年七月二七日毎日新聞夕刊九面)。〈7〉昭和六二年七月二九日、ロス郡検察局のライナー検察局長が、銃撃事件について、被控訴人を殺人共謀罪でアメリカで起訴したい(被控訴人を有罪に持ち込む証拠は、すでに日本の裁判で出ている、それと我々が得た証拠を合わせればアメリカで殺人共謀罪で有罪となることは十分可能だ)、という意向を公式に発表した(昭和六二年七月三〇日読売新聞夕刊「ロス疑惑花子さん銃撃」「米側、甲野起訴に自信」との見出し)。〈8〉昭和六二年八月一日、日米の捜査状況が報道される(昭和六二年八月一日読売新聞夕刊、「日米捜査つばぜり合い」「「花子さん銃撃」大詰め」「甲野引き渡し、可能だが……警視庁も意欲、微妙に」)。〈9〉昭和六二年八月七日、殴打事件について東京地裁で有罪判決言渡(被控訴人は懲役六年の有罪判決-被控訴人から控訴-(同判決は銃撃犯行にも触れ、被控訴人の冷酷非道さを評価判断している。)。同判決)。同日「焦点の「銃撃」捜査も着々と」「実行者の割り出しに全力」と報道される(昭和六二年八月七日毎日新聞夕刊一〇面)。〈10〉昭和六二年八月一八日、銃撃事件についてロス郡検察局とロス市警の捜査員四人が来日(昭和六二年八月一九日読売新聞朝刊二七面)、ロス疑惑初の日米捜査会議開く、控訴審終了までは甲野の身柄渡さぬ方針(法務省)(昭和六二年八月一九日読売新聞夕刊一五面)。〈11〉昭和六二年八月二〇日、米捜査当局の捜査員が、東京地検の検事立ち会いの下で、栃木刑務所服役中の乙山春子の事情聴取(昭和六二年八月二〇日読売新聞夕刊一九面「ロス疑惑米捜査官、乙山から聴取」「確定的殺意証言求め」「花子さん銃撃事件甲野被告指示詳細に」)。〈12〉昭和六三年二月、東京地検刑事部と法務省刑事局の検事が、ロス郡検察局と銃撃事件の今後の捜査共助の進め方などについて協議するため渡米(昭和六三年一月二八日読売新聞朝刊二七面)。〈13〉昭和六三年五月五日、ロス郡検察局が、銃撃事件について、被控訴人を殺人罪等で起訴(昭和六三年五月六日朝日新聞夕刊、昭和六三年五月六日読売新聞夕刊「銃撃実行犯すでに浮上」「日本側、夏にも強制捜査」、昭和六三年五月六日東京新聞夕刊「ロスに在住した邦人二二口径の銃を持つ男」「疑惑“本件”へメス」「米側切り札『共謀罪適用』」)。〈14〉昭和六三年五月一六日、「東京地検、警視庁は捜査員を一〇人、ロスアンゼルスに派遣、銃撃事件大詰め」と報道される(昭和六三年五月一五日朝日新聞朝刊)。〈15〉昭和六三年五月二〇日、ロスアンゼルスの銃撃現場で現場検証を行う(昭和六三年五月二一日読売新聞夕刊)。〈16〉昭和六三年六月一六日、警視庁捜査一課が、銃撃事件に使用されたライフル銃の機種を特定したと報道される(昭和六三年六月一六日読売新聞朝刊)。〈17〉昭和六三年六月二四日、銃撃事件について「花子さん殺し 甲野と実行犯来月中旬にも逮捕」と報道される(昭和六三年六月二四日東京新聞朝刊)。

3  以上の報道により捜査機関に強い嫌疑が生じていると広く社会に知れ渡った状況のもとで、殴打事件の一審有罪判決(被控訴人の殺意を認定)後は、銃撃事件について被控訴人の再逮捕があるかどうかが捜査の焦点となっていた状況にあったものと推察されるのであり、事実昭和六三年一〇月二〇日には、銃撃事件の実行正犯として丙川松夫が殺人罪で逮捕され、同時に被控訴人も殺人罪で逮捕されるに至ったのである。

4  本件記事は、まさに、このような状況の下で銃撃事件による被疑者の逮捕を待って、右逮捕の翌日の二一日に、時事通信社から控訴人に配信され、控訴人はこれをそのまま修正することなく、控訴人発行の「陸奥新報」に同日掲載し公表した。

5  本件記事は、被控訴人が殴打事件について殺人未遂罪により逮捕され起訴され、審理の結果懲役六年の第一審有罪判決を受けた後、被控訴人からの控訴提起がされ身柄拘留中に、さらに、銃撃事件について殺人罪により再逮捕された翌日に、右事件についての捜査の経過を報道したものであり、「公共の利害に関する事実」について、専ら公益を図る目的で報道したものであるといえる。

6  以上にみたように、銃撃事件の捜査の経緯、状況が、広く社会的な関心事として知られていた時期に、いよいよ銃撃事件で被控訴人が逮捕されるに至った翌日に執筆者が完成し配信により控訴人発行の新聞「陸奥新報」に掲載される運びとなった本件記事は、自ずから、警視庁捜査一課の強行犯五係の捜査官には、長期に渡る捜査継続と逮捕に漕ぎつけるとの強い意気込みが窺える、強気の表現の発言部分の内容が記述されているのが窺われる。右記事のうち、本件で問題とされているのは、前記〈1〉の発言部分(本文冒頭に鍵括弧を付して、「甲野は五十年か百年に一人の悪人。もう一度手錠を掛けて、撃ったやつも引っ張り出す。このままでは引き下がれない。」との捜査員の発言部分)と、〈2〉これを要約し、その趣旨をさらに端的に短縮された強い言葉で「甲野は希代の悪人」と記載された本件見出し部分である(その余の本件記事の記載内容は、いずれも真実もしくは真実と信じるにつき相当の理由があるといえることは、この点についての原判決の認定判断と同じである。)。これらのうち、〈1〉の発言部分については、鍵括弧を付けた中に記載され、右括弧内の記述が特定の捜査官の発言として、執筆者たる山本記者が、警視庁捜査一課強行犯五係の捜査官から夜回りの際に取材して聞き出したセリフをメモして録取したうえ、右発言内容をそのまま本件記事本文中に引用して記載した形をとっており、この部分に関しては、執筆者の意見そのものというよりは、鍵括弧で引用された内容自体が特定の実存の人物が実際にその内容のとおり発言したかどうかということと、そこで述べられた事実が真実であるかが問題とされて然るべきであるところ、前者については、執筆者の山本記者が直接本件記事の執筆を手がけ始めた昭和六二年夏ころ、警視庁詰め記者として、夜回りで捜査一課強行犯五係の捜査官宅を訪ねた際、同捜査官の口から直接聞いた言葉であり、同記者としては右発言中の「甲野は五十年か百年に一人の悪人。もう一度手錠を掛けて、撃ったやつも引っ張り出す。このままでは引き下がれない。」といった表現には、発言者たる捜査官の捜査への執念、意気込みが感じられたので、同記事はこの発言に興味を持ち、わざわざ右発言部分をメモに残してファイルしていたのを本件記事作成に当たり、その本文の冒頭にそのまま同捜査官の発言として鍵括弧を付して記述したことが認められ、この発言部分は、他の本文記事部分と全体的に見れば、その形式、内容からして、言葉の表現自体にはいささか辛辣激越なきらいはあるものの、これまで長期に渡る捜査に苦労してきた担当捜査官としては、いよいよ銃撃事件で被控訴人逮捕にこぎつけた段階で、そのような言葉による感想と将来起訴し有罪に持ち込むとの強い意欲を吐露することは、銃撃事件を手がけた捜査官の主観的ながら捜査の過程、資料収集状況を知るものとして、吐露した言葉としてはあながち不合理、不自然なものではない。この発言部分には、特に鍵括弧が付けられていることでもあり、控訴人発行の新聞紙「陸奥新報」を講読している相応の知識、教養あるレベルの読者にとっては、この部分を読んでも、執筆者(掲載者控訴人)が自己の意見そのものとして記載しているものとは受け取らないであろうと推察できる。また、一捜査員がそのような発言をした旨を新聞記事で報じられても、殺人容疑で再逮捕された当時までの警察当局の発表やマスコミによる関係記事の発表により広く社会一般に知られていた銃撃事件に関する捜査の経緯、状況の下で、しかも、右逮捕直後の段階においては、右捜査員の発言部分が新聞記事中に記載されているだけであれば、当該発言部分が本文中で鍵括弧が付けられた発言形式とされており、また、文字の大きさにしても、見出し部分の文字の大きさ、機能に比べて、読者の注目を引く度合いにも大いなる差があると見られるのであるから、一捜査官が非公式に個人的発言としてつぶやいた主観的な言葉として引用された表現として、銃撃事件で逮捕された当時の被控訴人の社会的評価をさらに低下させるとまでは断じ得ない。ところが、右発言部分中の「五十年か百年に一人の悪人」との冒頭部分をさらに黒太の鍵括弧を付して『甲野は希代の悪人』と記載された〈2〉の見出し部分についてみると、《証拠略》によれば、右見出し部分は、時事通信社の社会部デスクが付けたうえ、控訴人に配信したものであるが、これは、本文の発言部分の冒頭の「甲野は五十年か百年に一人の悪人」との捜査員の発言部分をさらに短縮し端的な言葉を用い過激な表現をとったものともとられ、特に鍵括弧で発言部分からの引用であるかのような表現形式をとったとはいうものの、この見出しの記述内容をみる読者にとっては、単純に捜査員の発言の一部そのものとはとれず、むしろ、かかる記事の見出しは読むものに筆者のいわんとする趣旨内容を端的明確に表現したものとして、読者に強くアピールする本文以上の独立した意見の表現箇所とも窺われるのであって、要するに、これが当時の被控訴人の人格評価を断定的明確に表現した執筆者・山本記者の意見であることはもとより、その雇用者たる時事通信社の意見であるうえ、本件記事の配信を受けそのまま修正することなく受け入れ、自社発行の「陸奥新報」に掲載して公表するに至った控訴人自身の意見の表明でもあると受け取れるのである。そして、右のような新聞記事の見出しは、読者の注目を引き、そのままそれだけで記事の内容が推測できるような記事自体の主要な趣旨内容を強く印象付けるものとされがちである。本件記事もそうであり、捜査員の発言の短縮引用された言葉にとどまるとは認め難いのである。本件記事においてみても、この見出しは、比喩的とはいえ、まさに強烈な被控訴人の極めて悪性の高い人格評価を断じたものとなっており、本文の発言部分と別個に、あるいは、それとリンクして、右記事に接した読者には、被控訴人が殺人行為をしたとの客観的事実の存在を前提として被控訴人の人格の評価をしているとの印象、理解を与えるのである。

7  もっとも、控訴人は、かかる意見部分の真実証明の対象事実に、「犯罪行為の存在」自体の証明を要求することは、特別の捜査権限のない報道機関に不可能を強いるものであるとし、本件発言部分や本件見出し部分は、被控訴人が銃撃事件に関与したとの強い「疑惑」をその前提事実とした意見であるから、右前提事実たる「疑惑」の存在が証明の対象となると主張する。しかしながら、人を「希代の悪人」と評価するからには、それ相応の確かな根拠が必要であり、本件においては、逮捕前から前記のような捜査の経緯状況が報道され、逮捕前までには、いわゆるロス疑惑として、被控訴人の銃撃による妻・亡花子の殺人の疑惑は、かなり世間一般に広まっていた傾向は先にみたように窺われるとしても、実際に被控訴人が当該殺人行為を実行ないし関与したという事実については、刑事裁判により適正厳格な手続のもとで重要な証拠調べが尽くされたといった状態となってはいなかったのであり、もし仮にこのような重要な証拠調べが尽くされ、かつ、その有罪判決が事後の裁判の審理の結果取り消される見込みが極めて薄い状況に達している場合であれば、たとえ、右有罪判決が現実に出されていなくとも、新聞報道その他マスコミが、当該刑事事件の起訴事実であり当該事件につき審理を遂げた刑事裁判所による有罪判決中で示されるべき事実の認定、判断に沿った殺人行為があったことを前提として、当該行為者の人格について辛辣で激越な評価、意見をしても、少なくとも意見表明者がその意見表明の前提事実を真実と信じるにつき相当な理由があるものといえるであろうから、そのような殺人の犯行者、関与者について、「悪人」にとどまらず「極悪人」であるとか、「稀にみる悪人」といった人格の評価としては辛辣激越な劣悪な悪性評価を含む意見表明をしても、公益性に照らし許されてよい場合があるであろう。しかし、当該犯罪について刑事裁判による客観的事実が明らかにされていない段階では、いくら捜査段階で社会に広く疑惑が知れているとはいえ、単なる殺人の疑惑、嫌疑があるというのでしかないのに、疑惑、嫌疑を受けている当該人物を殺人犯であるとの推断のもと、この者による犯罪事実を前提としての人の悪性の極めて高い人格の評価として、辛辣、激越にも「希代の悪人」との評価をしてもよいということにはならない。

控訴人は、この限度では、人格に係わる意見表明の論評をしても、本件で問題とされている発言部分や見出し部分の前提事実の真実性の証明は、被控訴人の銃撃事件における「疑惑」の存在をもって足ると主張するが、当裁判所は、先にみたとおり、その見解を受け入れられないのである。

要するに、本件記事の掲載公表の時点では、銃撃事件による殺人罪容疑で逮捕されたにとどまり、もとより、殺人罪で起訴されたり、その刑事裁判所の審理は全く開始されていない状態であった。もっとも、その後被控訴人がそれより前から疑惑、嫌疑のあった銃撃事件でも起訴され、第一審刑事裁判所の審理が遂げられ平成六年三月三一日には一審裁判所により有罪判決が言渡され、被控訴人からの控訴により現に控訴裁判所に係属し、なお、その審理が続けられていることは明らかである。また、その後、平成六年六月二二日には殴打事件の控訴審裁判所により、一審の有罪判決を維持する判決が言渡された。ただし、被控訴人からの上告により現に上告審に係属中であり、結局、右両事件ともいまだ確定判決をみるに至っていない状況にある。しかも、本件記事発表からかなり年月を経た平成六年三月に銃撃事件の第一審刑事裁判所の有罪判決が出たことからして、これより約六年も過去に遡って、本件記事が発表された昭和六三年一〇月当時において、新聞社・控訴人において前記問題部分の前提事実が真実であると信じるにつき相当な理由があったはずとまでは推断し難いのである。

以上によれば、本件見出し部分は、これだけで単独にあるいは本件発言部分とリンクして、本件記事掲載当時の被控訴人の社会的評価を低下させるものとして、名誉毀損による不法行為を構成するといわなければならず、また、本件見出し部分のような極端かつ端的な人格の劣悪な評価でしかない意見表明は、控訴人主張のような公正な論評の法理の埒外の問題でしかないといわざるを得ない。

8  ところで、本件記事を執筆した時事通信社の山本記者が本件記事の執筆に着手したのは昭和六二年の夏ころからで、右記事の掲載は、銃撃事件での殺人の容疑で被控訴人が逮捕されるのを待って、その直後にする予定で適時を待ち、銃撃事件で被控訴人が逮捕されるに至った翌六三年一〇月二〇日の翌日に時事通信社から控訴人へ本件記事が配信され、右記事は修正されることなくそのまま、控訴人発行の「陸奥新報」に掲載されたことは前示のとおりである。したがって、控訴人は、直接本件記事を執筆、作成したものではないとしても、配信契約に基づき配信してきた時事通信社作成の本件記事を受信してそのまま調査、修正等を一切せずに、控訴人発行の「陸奥新報」に掲載、発表したものであるから、右記事によって被控訴人の社会的評価を低下させたことにより被控訴人に生じた損害を賠償すべき義務がある。

9  そこで、控訴人が控訴人発行の「陸奥新報」に本件記事を掲載発表したことと相当因果関係のある損害の額についてみると、右掲載時期は銃撃事件で逮捕された直後であり、その当時までに社会一般に知られるようになっていた前記捜査の経緯、状況、銃撃事件による殺人の疑惑の広がり、本件記事のうち、問題とされている部分以外の記述は真面目に捜査の状況、経緯が事実に基づいて書かれており真実性の証明ができ得ていることは、原判決の認定するとおりであること、本件記事が掲載された控訴人発行の新聞「陸奥新報」は、青森県弘前市に本社が所在する地方紙で、その読者数はその地方にかなり限られていること、しかし、同紙は本来興味本位的な記事を掲載するのではなく通常真面目な報道をする傾向の、特定地域社会を販売講読対象地域としているものであり、自ずから読者層も興味本位的な記事を好む層ではないことは、同紙の他の記事を通読しても、容易に推察されること、また、なにより、先にみた、その後の銃撃事件、殴打事件の刑事裁判所の審理の経緯、判決の内容等に照らし、さらにはその他弁論の全趣旨に照らしてみて諸般の事情を勘案し、これを総合的に考える限り、本件記事により被控訴人がその社会的評価を低下させたことと相当因果関係のある損害の額は、必ずしも多額であるはずがなく、せいぜい五万円をもって相当と思料する。

第五  以上のとおり認められる。そうすると、原判決は、その主文第一項中、五万円の金員及びこれに対する昭和六三年一〇月二一日から支払済みまで年五分の割合による金員の支払を控訴人に命ずる限度では相当であるが、五万円を超え二〇万円に至る金員及びこれに対する昭和六三年一〇月二一日から支払済みまで年五分の割合による金員の支払を命じる部分は、相当でないからこの限度で取消しを免れず、その余の控訴は理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法九六条、九二条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 宍戸達徳 裁判官 伊藤瑩子 裁判官 佃 浩一)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例